自然科学研究機構 基礎生物学研究所
光物理生物学研究部門
研究背景
研究の動機:ナンデを突き詰めるとミクロの世界に至る
身の回りには不思議な自然現象が溢れています。ふと立ち止まってそのカラクリを考えてみると、素朴な疑問が次から次へと湧いて出てきます。小さい子供はよくナンデ?ナンデ?と周りに問いかけますが、全てのナンデに答えるのは容易ではありません。例えば、鳥の飛ぶ姿を見てナンデ?と聞く。それに対して餌を探すためと答える→ナンデ?と聞く→お腹が減るからと答える→ナンデ?と聞く→食べた物が消化されちゃうからと答える→ナンデ?と聞く、、、という風に延々と続きます。素朴な好奇心を満たすための一種のゲームなわけですが、研究の本質はまさにこのようなナンデ?の追求になります。結局、研究と言っても、いい大人がこのナンデナンデゲームを続けているだけなのですが、このナンデ?をひたすら続けていくと最終的にはミクロの世界の本質を端的に説明する必要に迫られます。これを実際に実験で調べようとすると、ナノ(10^-9)メートルという微小空間で生じるフェムト(10^-15)秒という超短時間スケールの物理現象まで観察することが不可欠となります(図1)。
我々のグループでは、光学顕微とレーザー分光を組み合わせた最先端の顕微分光技術を開発しながら、物理的なミクロ視点から生命現象の原理を解明すべく研究を進めています。さらに、生体分子やタンパク質の性質を各々別個に調べるだけでなく、それらが集まってより高次な系を形成したマクロレベルにおいてミクロな物理現象がどのような意味を持つのか解き明かしたいと考えています。より多くの素朴なナンデに答え、マクロな生命現象とミクロな物理現象を繋げることで、統一的な理解を目指しています。
図1.階層性と時空間スケール
生体内の光反応:流れの制御は謎だらけ
地球上の生命を支える最も重要なエネルギー源は太陽光です。そのため、生物にとっては光反応を如何に制御するかが生死を分ける大問題であり、様々な光反応機構を進化させてきました。数ある生体光反応の中でも、最も身近にあり馴染み深いものの1つに光合成反応があります。一度は学校で習ったことがあるかと思いますが、教科書的には光エネルギーを使って水と二酸化炭素から炭水化物と酸素を合成する反応と説明されます。こう聞くといかにも反応機構は分かり切っているように感じますが、ミクロレベルで見ると実は多くの謎が残されています。反応場となるのは脂質二重膜中に埋め込まれたタンパク質で、光反応過程に絞ってみても非常に複雑な多段階プロセスになります(図2)。そこではまず光捕集アンテナタンパク質に結合するクロロフィル色素分子が光を吸収します(①)。その光エネルギーは隣接する色素間を次々と移動していき、最終目的地である反応中心タンパク質へ渡されます(②)。反応中心では光エネルギーで電子が弾き出され、結合分子間を移動していくことで電流が流れます(③)。つまり、光から電流を生み出す天然の光電変換素子(もしくは太陽電池)と言えます。これが物質の流れを生み出します(④)。さらに天然系の凄いところは、電子移動に付随して膜を貫通するようにプロトンが移動し(⑤)、膜の内外でプロトン濃度勾配が形成される点です。そこで蓄えられた化学力を利用して最終的にATPが合成されます(⑥)。このように、エネルギー、電子、イオン、分子などの流れが高度に制御されています。これだけでも驚嘆すべき機能ですが、さらに高効率というオマケが付いてきます。エネルギー移動から電子移動に至る各過程はフェムト(10^-15)秒~マイクロ(10^-6)秒に及ぶ幅広い時間領域で制御されており、その量子収率はほぼ100%に達しています。また、複数のタンパク質が連携することで、エネルギー、電子、イオン、分子の流れを歯車のように連動させ、複雑な制御を実現しています。生体系は階層的なネットワークを構築し、各種物理過程を連鎖的に生じさせることで、局所的な外部刺激入力信号を階層を跨いで伝達していきます(図3)。人工的には未だに創り出すことが難しい理想的なシステムです。では、何故これらの流れは発散せずに方向性が制御され、且つ高効率性まで実現できているのでしょうか?また、何故このような卓越したシステムが誕生したのでしょうか?単純かつ素朴な疑問であり長年世界中の研究者が考え続けていますが、未だに完全に答えることはできません。
図2.光合成光反応の多段階プロセス
図3.生体系の機能的な階層ネットワーク
生体系の動的挙動と量子性:タンパク質骨格は揺らぎ、分子状態は波打つ
1980年代に膜タンパク質の結晶構造が解かれ、オングストローム(10^-10メートル)レベルの原子分解能でタンパク質構造が可視化されたことで学術的に大きく前進しました。最近ではX線結晶構造解析法やクライオ電子顕微技術の発展により、複数多種のタンパク質が集まって機能ユニットを形成した超複合体の構造も分かるようになってきました(図2)。エネルギー移動や電子移動を媒介する機能分子が最適な相対距離や配向を保ちつつ、タンパク質骨格に上手く配置されています。さらに、機能分子と近傍アミノ酸残基との相互作用が調整され、エネルギー準位や酸化還元電位が最適化されることで、エネルギーや電子の流れが制御されると考えられています。しかし、金属などの固体物質とは異なり、タンパク質の構造自由度は高く、ミクロ領域で眺めてみると骨格構造は絶えず熱的に揺らいでいます(図4)。また、エネルギー移動や電子移動などの光反応に付随して構造が変動することも知られています。そのため、エネルギーや電子の流れを制御するのは口で言うほど簡単ではありません。それにもかかわらず、生体系は非常に安定に機能しているように見えます。では、どのように安定・高効率な機能を実現しているのでしょうか?何か巧妙な仕掛けがあるはずです。生体系の核心に迫る重要な問題ですが、実験的に解析するには技術的なハードルが高く、未解明のまま残されています。さらに、これに加えてミクロの領域では量子的な効果も顔を覗かせます。例えば、複数の分子状態が混ざり合って空間的に非局在化したり、ポテンシャルの壁を突き抜けて状態遷移が生じたり、波として状態が干渉したり、我々の日常的な感覚とは全く異なる物理現象が反応を支配します。もしかすると生物は我々よりも量子の世界を深く理解し、エネルギーや電子の流れの制御に巧みに利用しているのかもしれません。しかし、生体量子効果は実証されたわけではなく、仮説の域を出ていません。これらを実験的に検証するには技術的なバリアを乗り越える必要があります。そこで私達は、光学顕微技術とレーザー分光技術を組み合わせた独自の手法を開拓することで、生体内のミクロ世界で生じる物理現象の実験観測に挑んでいます。
図4.生体系はダイナミックに構造や物性を変化させている